「清真」の由来

「清真」の由来とその理念及び校歌について

 「清真」という言葉の由来を一口にいえば、岩上二郎初代理事長の命名によるものです。昭和50年(1975)10月に行われた「学校設立計画」の公式発表時に、岩上理事長は次のように語っています。

古典からの引用ではない。鹿島開発のドロドロとした状況の中で、ひらめいたのが「清真」という言葉であった。
清真というニュアンスが、何となくミッション的、女性的だという声もあるが、
 「人間としていかに生きるか」という観点から考えると、極めて厳しい言葉である。
まだ仮称であるので、更に皆んなで考えようと思うが、好きな言葉であり、色紙にもよく書いている。

 「清真」という名称は設立準備財団の認可申請に先だつ50年1月末頃には、すでに案出されていたものと思われます。最終的には岩上理事長と大場岩夫理事(初代校長)に一任され、その結果学校法人名は清真学園、学校名は清真学園高等学校、清真学園中学校と決定されました。役員への通知文には、

ア、校名は、建学の精神及び生徒指導の理念を表わすものとしたい。
イ、地名のイメージは、学校名として必ずしも十分な意を表わすものではない。

とし、「清真」の考え方として、

1、「清」は、清浄・清純・清廉(心がきよらかで私欲がない)・清風等を表わし、
   また聖・誠・正・生にも通ずる。
2、「真」は真実・真理・真剣・真摯(まじめで熱心)・真如(もののあるがままの
   真実の姿)等を表わし、また心・信・神・新にも通ずる。
3、「清真」としては、精神・誠心(いつわりのない心)・聖心・清新・星辰(星座)
   に通じ、また青春・青雲にも通ずる。

を提示し、「このように言葉の意味としては多様であるが、要は一宗一派に偏せず、豊かな知性、強靭な体力に加え、広く清らかな情感に溢れ、しかも真理を尊ぶ創造的な逞しい人づくりを念願としたい。」というものでした。
なお、出典として、教育基本法第一条の「真理と正義を愛し」、大祓詞にみえる「清く正しくむつましく」、幕末の歌人佐久良東雄の歌(八郷町出身で、鹿島神宮で還俗)「春かすみたなびきにけり神さびて清き鹿島の春のあけぼの」、水戸藩幕末の英傑藤田東湖の「誠は天の道なり、これを誠ならしむるは人の道なり」が示されています。

建学の精神は校名の「清真」の名を敷衍しつつ、岩上理事長の鹿島開発の理念を盛り込むことが基本的考え方となり、

  波荒き鹿島砂丘に、人間性の勝利をめざし、
    常に心清く、豊かな知性をもって真理を追求する

という文言に凝縮されることになりました。「波荒き鹿島砂丘」は立地の場所と環境を表し、「人間性の勝利」は鹿島開発の理念であり、そこには単なる地域開発に止まらないものを掲げ、そのために「真理」を追求していくのだ、ということを宣言したのでありました。
 しかも、真理の追求には常に清らかな心と豊かな知性とをもつことを必要条件としているのです。建学の精神は「求道の精神」を表明するものであり、さらには「清」「真」たる普遍の人間形成を目指し、常にその原点指向の心構えで刻苦勉励することを意味するものでもありました。したがって、建学の精神は生徒のみならず教師が守るべき信条でもあるといえるのです。

教育方針の基本は「師弟同行」と「全人教育」であり、加えて岩上理事長から至誠、自律、敬愛、創造が示され、また大場校長から「能力、適性を最高度に伸ばし、志望の達成をはかる」ことが要望されて、五カ条にまとめられたのであります。
校歌は岩上理事長の作詞によるものですが、校歌というよりも当面は創業の理想を歌い上げ、全校の精神(心)を結集することが望ましいとの考えから、「創始の歌」とすることになりました。理事長の原案は次のようなものです(右側は修正後のもので、今日の校歌「創始の歌」です)。

一、 鹿島灘 潮騒聞ゆ 学び舎に
清き精神の 火を灯し
永久に真の 道を行く
創始の春は 浅くとも
集いしわれら 誓いは固し
ああわれら われらの清真学園
潮騒はるか 鹿島灘
紫けぶる 筑波山
創始の春は 浅くとも
不滅の真理 求めんと
集いしその名 清真学園
     
 二、 霰ふる 鹿島の杜 幾千年
尽くることなき 御手洗の
古き泉を 尋ねては
知徳を磨き 身を鍛う
集いしわれら 望みは高し
ああわれら われらの清真学園
鹿島の杜 緑濃く
御手洗の泉 永久に澄む
われらいのちの 学び舎に
さやけきこころ 磨かんと
集いしその名 清真学園
     
 三、 国生みの 鹿島の文化 地に満ちて
世紀を拓く 鹿島港
いま芸文の 花香る
常陸伏見の この台地
集いしわれら 意気昂し
ああわれら われらの清真学園
常陸伏見の この台地
いま芸文の 花香る
高き理想を かかげつつ
世紀の朝 拓かんと
集いしその名 清真学園

 この原案をもとに、諸先生方の意見を聞き、特に国語科の今野幸一郎先生が音楽担当の山中祥雅先生と協議し修正を施しました。
 作曲は荘重性を帯びたものが望ましいと判断されましたので、その方針にそって山中先生が作曲し、完成したものが「創始の歌」です。
「創始の歌」は、悠久の鹿島台地とそこに花開く清真学園の理想を高らかに歌い上げています。それは東に鹿島灘を望み、西に遙か筑波山を仰ぐ鹿島の地から、眼前に広がる鹿島の杜の緑と永久なる御手洗の泉に心を磨き、そしてこの台地から未来に向かって羽ばたく若人が集う学園の真姿を明かにしたものです。
 その行間には清真学園の設立に限りない情熱と努力を傾注された方々の思いを汲み取るべきでありましょう。このように「清真」の由来とその理念をみてきますと、我が学園には実に大きな期待が寄せられているといえます。
 その期待に応えるべく「高き理想をかかげつつ、世紀の朝拓かんと」の思いを胸に秘めて、意義ある学園生活を送りたいものです。